新国通い シェイクスピア大学校5

シェイクスピア大学校の5回目、作家の佐藤賢一さんによるシェイクスピアとジャンヌダルクーナショナル・ヒストリーの曙ーに行ってきました。
この講演中唯一フランス側からのものだそうで、アウェイ感に緊張すると佐藤氏。
ヘンリー六世の世界を、当時の歴史的背景、言語、シェイクスピアが戯曲を書いた時代等の側面からお話ししてくださいました。
いただいた資料と、私のいい加減な記憶からですがメモしておきます。
当時「フランス」「イギリス」という一つのまとまった「国」としての意識は低かったそう。戦国時代の日本の様に、それぞれの領地を戦争や婚姻によって取ったり取られたりしていたのが中世ヨーロッパ。
イギリスの最初の王であるウィリアム一世は、ノルマンディ公ギョーム。つまりはフランスの公爵ギョームが自分の領土の一部としてイギリスを治めたというのが事実だそうで。それ以降もフランス貴族による統治が続いていた。それゆえ上流社会の言葉はフランス語、イギリスでも英語を話すのは一般民衆であった。また、当時の書き言葉はラテン語のみであった。
ところが、ルネサンス運動以降、俗語である英語、フランス語が書き言葉にも使われるようになり、上流社会の中でも英語を話すようになる。それと同時に、ナショナリズムも確立された。
英仏100年戦争は、フランスが勝ったというのが歴史的事実。しかし、シェイクスピアシンドロームとも言える歴史の解釈があったため、イギリス人はそうは思っていない。
シェイクスピアがヘンリー六世を書いたのは、史実より約100年後。100年というのはリアルに覚えているお年寄りがいたり、実体験ではないにしろ生々しい記憶を持っている人から話を聞ける位の時間。シェイクスピアの書いた物語は、史実とは必ずしも合っていないが、ジャンヌダルクの存在と、彼女による敗北を無視するわけにはいかなかった。
そこで、シェイクスピア時代の処女王と言われたエリザベス1世との対比として、ジャンヌダルクを徹底的に貶めて描いた。
ちなみに、フランスでジャンヌダルクが有名になったのは、19世紀のナポレオンの手による。それまでは彼女は一地域でのみ知られている存在であり、逆にシェイクスピアによってイギリス人の知名度が高かった。(やった側よりやられた側の方が覚えているという側面もあるし、イギリスに勝ったのは小娘だけの手柄にしてなるものかという思いもあっただろう)
シェイクスピアがジャンヌダルクは、下から(民衆から)国家を意識させた人という共通点がある。
ああ、書いたは良いけど、非常に自信がありません。聞いたときはとても面白く、納得してたのですけど。信用しないでくださいね。。。


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